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なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

わが人生の栄光を語る

日記

本番前の強化試合はことごとく無得点だった。相変わらず決定力不足が懸念された。だが、本田圭佑が決勝ゴールを決めた。ワールドカップ南アフリカ大会。岡田ジャパンカメルーンとの初戦を1対0で制した。

本田って、センターフォワードをやったことがなかったのか。4年に1度のにわかサッカーファンなので、そんなの知らない。試合後のインタビューは、どこか格闘家みたいな雰囲気だった。でも、本田に親近感を抱いた。何を隠そう、俺も元来フォワード選手ではなかったからだ。

地域の大会で好成績を上げるなど、サッカーが盛んな中学校だった。年に一度、クラス対抗サッカー大会なんかも開かれた。一年生の時、俺は代表選手に選ばれた。なぜかフォワードをやらされた。しかも、トップスリーが当り前だった当時のセンターフォワードだ。

(注:フォワードとは常に前の方に陣取って、シュートを打って得点したりしないといけない責任重大な立場です)

俺の専門は野球選手の2番セカンドだった。バント専門の地味な役回りだ。だから、スポットライトを浴びるフォワードなんて柄じゃない。そもそもフォワードに欠かせない脚力や反射神経がなかった。オフサイドとかいう基本的なルールも飲み込めていなかった。でも、サッカー部のオザキは、お前がセンターフォワードをやれと無茶を言った。当時のサッカー部は不良の巣窟だった。夜の校舎の窓ガラスを壊して回ることこそしなかったが、サッカーの他は授業をさぼってピンボールばかりやっているようなワルが集まっていた。紛れもなく、手の込んだイジメだと思った。

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運命のキックオフ。一番最初にボールを蹴るのは俺だ。でもそれ以降、全然ボールにさわれない。パスも回ってこない。激しくボールを争う場所から一人離れて、所在をなくした。心細いやら、淋しいやら。こんな心境を味わったのは後年、今日こそはフーゾク初体験をするんだと勇んで新宿・歌舞伎町に降り立ったものの、あと一歩のところで怖気づいて、店の前をウロウロしたときの他にない。

時に、もっとも恐れていたことが起きる。何の因果か、俺の足元にボールが転がってくる。何もできないのでどうぞお構いなく。こちらはそう思っているのに、相手チームのディフェンダーは血相を変えて突進してくる。泡を食った俺はあらぬ方向にボールを蹴飛ばす。「何やってんだよ!」とオザキの怒号。敵にも味方にも責められる。孤立無援。これをいじめと言わずして何と言おう。

終始、そんなお粗末なプレーしかできなかった。でも、終わってみたらびっくりだった。3試合すべて1対0で勝った。奇跡が起こった。俺たちのクラスが優勝した。そして、3試合目の虎の子の1点を決めたのは、誰あろうこの俺だった。球をしっかりと蹴れなかったそのシュートは、それこそお爺ちゃんのおしっこみたいに勢いのないものだったが、それでも確かにゴールネットを揺らした。

チームのキャプテンを務めたオザキに、先見の明があったのか。岡田ジャパンの作戦をすでに先取りしていた。サッカーのうまいやつで守備を固めて、最少得点で勝つという戦法だった。それとも、サッカー部の連中がクラス対抗戦なんかで目立つのは野暮だろう、俺たちは守るから、お前たちが前に出ろという、そんな筋だけは通っていた当時の不良のダンディズムが功を奏したのか。

古い話なのに、なぜか鮮明に覚えている。後にも先にも、これが半世紀近いわが人生における、たった一つのささやかな栄光だからだろう。その意図はどうあれ、オザキには感謝しなくちゃいけない。

77歳、乙女の恋

日記

手にはテレビのリモコンが握られている。
眼鏡はかけたままだ。
横たわった体は、反り返っている。

すわ、死んだのか!?

「むにゃむにゃ、おやお前、いたのかい?2時間ドラマを見てたんだけど、寝ちまったようだよ」

きわめて不自然な居眠りの体勢を目撃するたびに、こちらは心臓が止まりそうになる。

77歳。
母がまだ生きている。

狭心症で2度、深夜の救急車の世話になった。
今も血圧は200以上が当たり前だ。
骨粗鬆症に加え、足腰も悪くコルセットをしなければ歩けない。

だから1日中、寝転がってテレビばかり見ている。
2時間サスペンスドラマが好きで、欠かさず見ている。

だが、そこで繰り広げられる殺人事件は必ず迷宮入りになる。
ドラマの大団円にたどり着くことなく、本人が眠り呆けてしまうからだ。
やっぱり蟹江敬三が真犯人だったのかしらって、そんなこと俺が知るか。

 

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だが、そんな母が、テレビの前からむくりと起き上がる時がある。
緊張の一瞬、こちらも息を飲む。
さては、奴が近くにやって来たようだ。

その名も氷川きよし
母は、氷川きよしの追っかけをしている。

寝室には、きよしの巨大ポスターが何枚も貼ってある。
枕元に置いたラジカセで、夜毎「きよしのズンドコ節」を子守唄に寝ている。
いつの間にか、ファンクラブにも入っていた。

そして、東京及び近県でのコンサートの切符が手に入ると、墓場から蘇るゾンビのように目覚めるのだ。

人の顔を見れば、ここが痛いの、あそこが痛いのと愚痴ばかりこぼす。
だから、掃除、洗濯、買物と、どれだけ俺が手伝っていることか。
それなのに、コンサートの日にはなぜかそんな体の痛みもすっかり消えて、歩幅2.4センチぐらいの、どこから見てもロボットみたいな足取りで、いそいそと出かけていく。

騙されているのかもしれない。
本当はぴんぴんしているのに、体の弱った老人のふりをして家族を酷使するという、オレオレ詐欺ならぬ「ヨレヨレ詐欺」なのではないかと・・・。

だが、毎日10種類近い薬を飲んでいる。
歩幅2.4センチも紛うことなき事実だ。
これが恋の情熱というものなのだろう。
身に覚えがないわけではない。
愛しいあの人に会うためなら、たとえ雨が降ろうが、槍が降ろうが、2.4センチだろうが、我知らず不思議な力が湧いてくる。

周囲は陰で笑っている。
でも、寝たきりになってもおかしくない年齢と体調だ。
それが、この恋のおかげで防げているのであれば、氷川きよし様様なのかもしれない。
彼に足を向けて寝ることはできない。
ホモ疑惑なんてのもあるらしいが、母にはそんなこと、口が裂けても言えない。

そう、老いらくの恋とも呼ぶまい。
目ん玉にハートマークを浮かべた一途な様子を見ていると、むしろ、いにしえの歌の切ない詩が胸によみがえる。

命短し恋せよ乙女、紅き唇あせぬ間に・・・♪

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終りに・・・いや、始めにイチローありき

野球

韓国メディアは戦争という言葉を使ったと聞く。確かに、それは野球という名の戦争だった。かくも壮絶な戦いは滅多にあるものではない。9回、不調の藤川に代わって抑えに回ったダルビッシュが重圧に押し潰された。負けたと思った。延長戦は後攻めの方が心理的に有利だ。すると、日本の敗因はコイントスで不覚を取ったことになるのか。だが、日本にはイチローがいた。韓国はイチローとの勝負を選んだ・・・。

ロサンゼルス、ドジャースタジアム。WBC決勝。韓国の先発は、これまで2度日本を下した奉重根。球威こそ落ちていたが、要所での制球力は相変わらずだった。日本は、準決勝進出を決めたキューバ戦で快投を見せた岩隈。いつも通りの冷静なマウンドさばきと、奉をしのぐ抜群の制球力(!)で相手打線を寄せつけなかった。

日本の1点リードで迎えた5回の攻防から、「世紀の一戦」(原監督)は死闘の様相を帯びる。四球の中島を一塁に置いて、青木との間でヒットエンドランが決まる。だが、続く城島は三振。小笠原のバットも空を切り、走った青木も二塁で刺された。三振併殺。

ピンチの後にチャンスあり。統計的には誤りだという。だが、敵の攻撃を封じた韓国は勢いづいた。先頭の5番・秋信守中越えの同点弾を放つ。内角低目の変化球。失投ではなかった。味方の援護を得られなかったことに落胆したわけではあるまい。ただ、追加点がなかったという現実が岩隈の手元をわずかに狂わせた。

岩隈を救ったのは、左翼・内川の守備だった。1死後、高永民のライン際のライナーに果敢に飛び込み、二塁を狙った打者走者を矢のような送球で刺した。あの当たりが抜けていたら、あの送球が逸れていたら、試合はまったく違う展開になっていただろう。6回には、城島が三振併殺をお返しした。

その余勢を駆って、7回、左前安打を放った片岡がすかさず二盗を決め、中島の適時打で一気に勝ち越した攻撃は鮮やかだった。8回も日本野球の真骨頂たる岩村の犠牲フライで追加点。決勝ラウンドは、積極策が功を奏して打線がつながった。磐石の投手陣はじめ選手はみな持ち味を発揮した。前回大会で価千金の一発を打った福留は大目に見よう。

だが、国際試合における韓国の底力は計り知れない。投手陣は、金廣鉉と柳賢振の二枚看板が崩れてもびくともしなかった。そして、少ない好機を確実に物にする打線の集中力。1点差で迎えた9回のマウンドに、満を持してダルビッシュが上がる。ところが、制球が思い通りにならない。負けられない。打たれてはいけない。球はことごとくバットが届かないところへ逃げていく。かろうじて2死まで漕ぎ着けたものの6番・李机浩に同点打を浴びてしまう。絶体絶命。

ただ、日本にはイチローがいた。10回、先頭の内川の右前安打から作った1死一、三塁のチャンス。代打の川崎が遊撃フライに倒れて、打席にイチロー。ここで一塁手はベースから離れた(だから、一塁走者の岩村は二塁をもらったのであって、盗塁したわけではない)。すなわち、走者には構わず一打2点のリスクを負っても(!)、イチローと真っ向勝負するという構えを見せた。

だが、試合後の金寅植監督の話では、「際どいコースのボールを投げて、うまくいかなければ歩かせる」という指示だったという。伝達ミスでベンチの意図が伝わらなかったともいう。確かに、定石では敬遠の場面だ。イチローは前の打席でマウンド上の林昌勇から右越えの二塁打を打っている。内野安打も多い打者だ。押し出しの可能性はあるが、満塁の方が断然守りやすい。

果たして、うまくいかなければ歩かせるという指示はいつのものだったのか。岩村は二塁に進まないと思ったのか。韓国は敬遠という攻め手を自ら封じておいて(あるいは、封じられて)、混乱したのか。

「今後30年間、勝てないと(アジアの国に)思わせたい」。前回大会のイチローのこの言葉が、日韓の野球戦争に火をつけた。球場内でのイチローに対するブーイングは凄まじかった。韓国メディアのイチロー叩きも激しかったと聞く。韓国は青木には敬遠という作戦をためらわなかった。

イチローはファールで粘って林から失投を引き出し、中前に弾き返した。「本当は無の境地でいたかったけど、視聴率が凄いだろうとか、ここで打ったらオレ(何かを)持っているな、とか思った」。大会中、不振にあえいだ世界のイチローを、原監督は彼も人の子だったと言った。違った。イチローイチローだった。それ以上の言葉を費やす必要はない。

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WBC、日本の2連覇。終わってみれば不思議なもので、あれだけハラハラドキドキしながら見ていたのに、興奮もすぐに冷めてしまう。何故だろう。今はただ林昌勇が一刻も早くシェルショックから立ち直ってくれることを願うのみだ。何故って、林は我らが東京ヤクルト・スワローズの抑えの切り札なのだから。プロ野球の開幕はそう、もう来週・・・・・。

【映画評】世界のクロサワ映画を無理して生きる

映画

小林多喜二の「蟹工船」が再び脚光を集めている時代だから驚くには当たらないのかもしれない。NHK・BSで放送された没後10年黒澤明特集の「あなたが選んだ黒澤アンコール」(2009年初旬)で、「赤ひげ」が2位に選ばれた。監督自身、当時の集大成だったという作品でもある。2位から5位までは僅差だが、視聴者の見識は高いと云うべきか。

1位 七人の侍
2位 赤ひげ
3位 用心棒
4位 生きる
5位 天国と地獄

思いのほか「デルス・ウザーラ」(9位)が人気を集めた一方で、「酔いどれ天使」(14位)や「素晴らしき日曜日」(25位)の票が少なかった。

赤ひげ(1965年・東宝

監督:黒澤明  
原作:山本周五郎
出演:三船敏郎加山雄三二木てるみ頭師佳孝、内藤洋子、土屋嘉男、団令子、香川京子、根岸明美、山崎努桑野みゆき杉村春子

江戸末期、長崎で蘭方医学を修めた青年医師(加山)が、本人の希望に反して江戸の小石川養生所に配属される。出世の道を閉ざされた不満から、彼は赤ひげと呼ばれる傲慢な所長(三船)に反抗する。

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昔のように低予算で小品を撮ってみてはどうか。撮影現場を訪れたある評論家にそう云われた監督は血相を変えた。「赤ひげ」など、「ベン・ハー」のワンカットにも及ばない!以後、世界のクロサワは思うように映画を撮れなくなる。そんな裏話を思い出しながら、久しぶりに見た。

香川京子扮する色情狂の女に青年が襲われる場面には息を呑んだ。それでも、3時間の長尺には倦んでしまった。

全編がエピソード構成の市井人情ものである。胸の内を明かさなかった老人の厳粛な臨終、腕ずくの手術、猥雑な長屋の面々、車大工(山崎)の悲恋・・・。青年はそんな庶民の窮状を目の当たりにする。赤ひげが貧しい人々のために献身する姿にも共感する。政治は貧困や無知に対して何もしない。医は仁術でなければならない。医を算術だと履き違えていた青年は目を開く。

赤ひげの人物像が勘所だ。無骨ながら心根は優しい。刀こそ帯びていないが、喧嘩も滅法強い。弱味を握った役人を利用することも辞さない。だが「俺は悪人だ」。自らを悪人と称するのはどんな人種なのか。身元不明の英雄が自分の姿に充足する。そんな気配が鼻につかないか。無論、門構えと二人の上半身を仰角気味に捉えた構図は随所に決まる。

政治の責任を問いながら、映画はどこか白々しい。監督の善意は疑わないが、直情的なヒューマニズムと理想主義が幅を利かす。こんな超人がいたら政治は要らない。倫理を説きながら映画の射程は現実に届かない。娯楽映画に望蜀の言というものか(※)。

岡場所から救い出した少女(二木)と「子ねずみ」の交流を描いた後半はいい。ただ、娼家での虐待によって極度の人間不信に陥っていた少女がかくもあっさりと回復してしまったのには驚いた。監督の楽天的な人間観が図らずも露呈された場面だろうか。こちらの記憶違いではあった。

盗みの現場を見逃してくれた少女に、子ねずみが別れを告げに来る。父ちゃんがひもじい思いをしないで済むところに連れて行ってくれるんだ。今夜の姉ちゃんはとても綺麗だ。さようなら。不安を覚えて引き止めようとする少女を少年は制する。「どですかでん」の頭師佳孝の一世一代の名演技。果たして、子ねずみ一家は心中を図った。瀕死の状態で担ぎ込まれる。子ねずみはすべてを承知していた。彼もまた黒澤映画の住人たるに相応しいサムライなのだった!井戸とは幽明の境なのか、少女が魂を呼び戻そうとありったけの思いで叫ぶ場面には泣けた。

これが黒澤映画の理想郷なのだから、志村喬の鬼気迫る腑抜けの表情にも惑わされてはいけない。傑作の誉れ高い「生きる」もまたサムライの映画だ。文字通り、滅私奉公によって死の恐怖を克服する男の物語なのだから。

生きる(1952年・東宝

監督:黒澤明  
出演:志村喬、小田切みき、伊藤雄之助金子信雄、日守新一、小堀誠

この男は死人も同然だった・・・。神の声のようなナレーションがいきなりそう紹介する主人公は市役所の課長だ。30年間無欠勤、毎日、机上に置かれる書類に判を押すだけという単調な仕事を続けてきた。そんな初老の男が突然、癌で余命わずかと宣告される。呆然自失。藁にもすがる思いで二階の息子夫婦を頼る。妻を失った後に男手一つで育ててきた息子(金子)だ。だが、返ってきたのは、もはや戸籍という書類上の息子にすぎない肉親の冷たい言葉だった。

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当然ながら、小津安二郎監督「東京物語」(53年)を思い出す。家庭劇しか撮らなかった小津監督はなぜか、ほとんど家の中の階段を画面に収めなかった。蓮見重彦は小津映画の二階は宙に浮いていると指摘した。だが、劇的な効果を重んじる黒澤監督がこの舞台装置を見逃さないはずがない。それは小津監督「風の中の牝鶏」という例外よりも衝撃的だったかもしれない。絶望に打ちひしがれて階段を下りる主人公の後姿は、家族との訣別を劇的に物語る。

男の遍歴が始まる。メフィストフェレスを任じる小説家(伊藤!)に導かれて夜の街に繰り出し、パチンコをする、酒を飲む、女の裸を見る。安心立命は得られない。だが、救い主は意外なところから現れる。市役所を辞めて玩具工場で働き始めた若い娘だ。監督好みの顔と思しい小田切みきが演じる(「一番美しく」の黒澤夫人、矢口陽子に似ている)。決して美形ではないが、生きいきとした無邪気な笑顔と大きな目が印象的だ。彼女が語る、物を作る喜びに霊感を受ける。死んでいた男が生き返る。もちろんそのレストランでは、誕生日パーティで盛り上がっている若者たちの歌声が大きく響くだろう。

改めて云うまでもないが、「生きる」が凡百の映画と一線を画すのはここからだ。場面が一気に飛躍して、主人公の通夜の席に移る。酒に酔った役所の部下たちの回想という形になる。この構成の転調は鮮やかだが、情熱の尊さは直截には描きにくい。虚構の世界では、純度の高い熱意は挫折からしか取り出せない。主人公の情熱は実を結んだ。だが、やったことは各方面に粘り強く頭を下げたことだけだろう。絵にはならない。

破格の展開と評されたこの方便がうまくいっているとは思えない。情熱の力を顕揚するはずが、つまらない官僚批判が目立ってしまった。「あんな立場に置かれれば我々だって公園ぐらい作れる」と大口を叩き始めた連中を左朴全が一蹴する。「お前たちのようなクズにできるか!」。黒澤映画の常連の役回りとはいえ、場面をさらって意図せざる喜劇にしてしまった。後年、監督がこの映画に触れたがらなかったというのもこの故だったのではなかろうか。

いのち短し、恋せよ少女・・・光の粒のような雪が降る公園で、主人公がブランコを揺らしながら「ゴンドラの唄」を歌う。ストーブの匂いがする映画館でこの場面を見て泣いたのが作曲者の中山晋平だった。そして28日後に亡くなった。そんな話を朝日新聞「うたの旅人」で読んだ。この唄は彼が薄幸の母の人生を重ねて作ったものではないかという。だが気になるのは、やはり黒澤監督も尊敬していたというあの監督の評価だ。果たして小津監督は「生きる」をどう見たのだろうか。

※ 黒澤監督は百も承知なのだ。「悪い奴ほどよく眠る」を見ればよく分かる。死に花を咲かせない復讐劇。映画もそんな誠実な尻すぼまりによって捨てがたい。それでも、本人は身も蓋もない「生きものの記録」のほうが自分らしい映画だと云う。困った。ならば、私が選んだ黒澤アンコールもやっておこう。順不同で「羅生門」「野良犬」「天国と地獄」「一番美しく」、そして「悪い奴ほどよく眠る」、あるいは「どん底」。「七人の侍」は「赤ひげ」「生きる」にもまして気に入らない。私はクロサワ映画が好きなのか、嫌いなのか。

【映画評】クリント・イーストウッドは無敵である。

映画

向かうところ敵なし。その老境を知らない活躍ぶりに目を瞠る。「硫黄島」二部作は大ヒットを記録し、評判もいい。やはりクリント・イーストウッドは天下無敵なのか。

かつて、痛快娯楽活劇という言葉があった。主人公は正義の味方。激しい戦いの末に、善が栄えて悪が滅びるという物語だ。先頃、新作が公開された007シリーズなどにその名残りを留めていようか。観客は今も昔も快哉を叫ぶ。

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イーストウッドの映画に、そうした痛快さは感じられない。確かに多くの場合、主人公は銃を手に敵と戦う。だが全編に漂うのは、およそヒーローものに相応しくない、ひたすら鈍い痛みに耐えているかのような感覚だ。イーストウッドは無敵だが、屈折している。そうした色合いが濃いのが監督処女作「恐怖のメロディー」や「アウトロー」、「ペイルライダー」あたりだろう。自身が最も好きな西部劇としてフレッド・ジンネマン監督「真昼の決闘」を上げる監督らしいと云うべきか。

今回は、陽性に屈折した三作を取り上げる。

Firefox (1982年・米) 

監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、フレディ・ジョーンズ、ウォーレン・クラーク、デイヴィッド・ハフマン、ナイジェル・ホーソーン

映画「ファイヤーフォックス」は、物語が無敵である。

ソ連が開発した超高性能戦闘機ファイヤーフォックス。米空軍パイロットのイーストウッドが貿易商を装って単身ソ連に潜入し、現地の秘密工作員の力を借りてそれを盗み出す。話は荒唐無稽この上ない。しかも、主人公の身上書に書き込まれるのは優秀なパイロットだが、ベトナム後遺症持ちであるということだけだ。冒頭、ジョギングしている場面ではベトナムでの悪夢の光景が甦る。

前半は夜のソ連を舞台に冷戦スパイものとして展開する。科学者、KGB、変装・・・道具立ては万全とは云え、目新しい趣向もないままサスペンスを持続していくあたりはすでに巨匠の手並みだ。顔のアップだけで、自由のために犠牲になる老科学者夫婦の愛をあしらい、さらりと物語に厚味を加える手際もまた鮮やか。

その老科学者がいまわの際に目にするのが、基地の混乱に紛れてゆっくりと機に乗り込もうとするイーストウッドの姿だ(このカットが抜群)。映画はここから一転、戦争ものに調子を変える。と云うか、誰の目にも明らかなように、ずばり「スターウォーズ」なのだ。この転調の落差と、物語の主人公も裸足で逃げ出そう監督イーストウッドの剽窃ぶりに呆気にとられる。

ファイヤーフォックス2番機との狭い谷間での空中戦は、ジョン・ダイクストラの特撮で迫力満点に繰り広げられるのだが、俳優イーストウッドはこれしか演じようがないじゃないかと云わんばかりに、操縦席で正面を向いているだけだ。そして終幕、PTSDの発作に襲われながら2番機を撃墜すると「帰還する」と一言云って、猛スピードで画面の奥へ消えていく。まるで痛快さを恥じるかのような、その逃げ足の速さ。

語義矛盾を恐れずに云えば、堂々たる風格を持ったB級映画の大作。そんな不思議な面白さが味わえる傑作だ。

A Perfect World (1993年・米) 

監督:クリント・イーストウッド
出演:ケヴィン・コスナークリント・イーストウッドローラ・ダーン、T・J・ロウサー

1963年、テキサス。脱獄囚が8歳の少年を人質に取って逃亡した。署長自らの指揮で州警察が追跡する。

映画「パーフェクトワールド」は、演出が無敵である。

凶悪犯がK・コスナー。署長がイーストウッド、加えて犯罪心理学者のL・ダーン。誰もが追う者と追われる者との知略を尽くした攻防を期待する。だが、予想は外れる。警察側はさながら「ブロンコ・ビリー」の一行なのだ。追っていると思ったら、反対車線をすれ違う。おまけにトレーラーが外れて、林に突っ込むという体たらく。

俳優イーストウッドコメディリリーフの役目を引き受けつつ、監督イーストウッドが真剣な眼差しを向けるのは家族のありようについてだ。父親のいない厳格な家庭に育った引っ込み思案な少年と、悲惨な境遇に育った凶悪犯との間に芽生える親子愛のごとき心の交流をロードムーヴィ形式で情感豊かに描いてみせる。

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例えば、万引きした少年を諭す場面。男は云う。「盗みは悪いことだ。借りたことにしろ。ルールに例外は付き物だ」。家の宗教のために許されなかった少年のハロウィン詣での夢を叶えてやる場面は一日遅れの”Trick or treat”だが、後ろに控えた男の銃が威力を発揮する。

二人が黒人家族の世話になる件が、篇中の白眉だ。男が育ったという娼館のダンスホール風に古いレコードに合わせて和やかに踊っていると、ラジオのニュースが男の正体を告げた。一家の主が我が子を男の手から引き離そうと暴力を振るったとき、男の狂気に火が付く。「なぜ、子供を殴るんだ!」。ここから哀切きわまりない結末へと急転回する。「ごめんよ、ブッチ」「どこの誰とも知れぬ奴より、お前に撃たれてよかったよ」。この一連の場面の静から動への呼吸と緊迫感に息を呑む。コスナーの迫真の演技も申し分ない。

二人の旅は何の変哲もない原っぱで幕を閉じる。一篇の映画の幕切れには似つかわしくない、まるでロケハンに手を抜いたかのような場所で、男はキャスパーのお面を横にして息絶え、少年は太陽を背にしたヘリコプターに乗せられて去ってゆく。別離のラストシーンを「パーフェクトワールド(完璧な世界)」として反語的に演出してみせるとは、その成否は問わないにせよ、「許されざる者」でオスカーに輝いた無敵の監督にだけできる芸当と云うものだろう。

The Gauntlet (1977年・米)  

監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ソンドラ・ロック、パット・ヒングル、ウィリアム・プリンス

開巻、フェニックスの夜明けの空撮にアート・ペッパーのジャズが響く。しがない中年刑事のイーストウッドが酒とポーカーの徹夜明けのまま現れる。今朝は新署長が着任する。同僚刑事が無精髭をたしなめる。勿論ファンたるもの、この場面から、イーストウッドが映画界の桧舞台に躍り出ることになったマカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」での髭面のガンマンを連想しなければならない。イーストウッドは新署長からある裁判の証人の護送を命じられる。

映画「ガントレット」は、まさしくイーストウッドが無敵へと至る過程を描いた作品である。

ラスベガスから娼婦のS・ロックを護送するために立ち寄った一軒家で、二人はなぜか警察に包囲され一斉射撃を受ける。「俺たちに明日はない」のように蜂の巣にされた家は丸ごと崩れ落ちる。すべてはマフィアとの関係を暴露されることを恐れた新署長の陰謀だった。

ガントレットとは、鞭を構えて二列に並んだ人間たちの間を罪人に歩かせる西部開拓時代の刑罰だと云う(参照)が、この残酷な仕打ちにひたすら耐える姿こそ最もイーストウッド的な身振りだろう。権力に利用された刑事と社会の底辺に生きる娼婦が、こちらからは殆ど反撃することなく手を携えて正面突破を図る。

暴走族から奪ったバイクを「イージーライダー」さながら駆って、獰猛な未知の生物のように襲ってくるヘリコプターから逃れる場面の圧倒的な迫力に手に汗握る。飛び乗った貨車でその暴走族に出くわしてしまう窮地では、文字通り体を張るロックによって救われる。そして、ガントレットが実際に演じられる有名なクライマックス。

フェニックスの町に着いたイーストウッドは、「真夜中のカーボーイ」のバスを鋼鉄の板で装甲車に変える。蓮實重彦が指摘した「荒野の用心棒」のあの鉄板だ。署長の命を帯びて沿道に並んだ警官が一斉に発砲する。使用された弾丸は4万5千発だと云う。銃弾の雨に耐えながら、バスはゆっくり、かつ毅然と前進していく。

バスから降りた二人に、もはや誰も手出しはできない。茫然自失する警官隊の中から、銃を取って飛び出した署長を最後に仕留めたのはロックだった。気絶して倒れたイーストウッドを罵る。「私一人残して死ぬ気?意気地なし!」。目を開けたイーストウッドが云う。「やかましいな」

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俺たちに明日はない」「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」・・・アメリカン・ニューシネマの主人公たちは、みな時代の混迷に歩調を合わせるかのように死んでいった。映画の側にとどまり生き残ったのは、イーストウッドただ一人。無敵たる所以である。