なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

37年目の追悼・・・否、力石降臨

「へへ、参ったぜ。あそこでアッパーで来るとはな」。男は潔く敗北を認めて手を差し出した。だが、快く握手に応じようとした勝者はその瞬間マットに倒れた。そして、そのまま帰らぬ人となった。

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先日、「北斗の拳」のラオウとかいう人(?)の葬式があったらしいが、漫画やアニメのキャラクターの葬儀と言えば、何と言っても「あしたのジョー」の力石徹だろう。

NHK・BSで3月末に連続放送された「とことん!あしたのジョー」。録画しておいたのをやっと見終えた。関連番組のドキュメンタリーやらトークショーも殆ど見てしまった。

漫画の連載は1968年末から73年までで、TVアニメ版は70年から71年にかけてというから出会ったのは再放送か再々放送か。いずれにせよ久しぶりに見たのだが、血わき肉踊った。主人公の矢吹丈の若者らしい向こう意気とはにかみの、何と生きいきとしていることか。それでも、やはり強烈な印象が残ってるのは宿敵、力石徹の方だ。

例の苛酷きわまりない減量のエピソード。ジョーとリングで戦うために、力石は死に物狂いで2階級分の体重を落とす。実は、この話は原作の高森朝雄梶原一騎)と作画のちばてつやが意思疎通を欠いたために生まれた。刑務所内だけのキャラクターだと思い込んでいたちばが、力石の体を大きく描いてしまった。そのためにあの展開にせざるをえなかった。そんな事情を、TVアニメ版の出崎統監督とちばの対談を見て初めて知った。怪我の功名みたいな話だが、傑作とは往々にしてひょんなことから生まれるのだろう。

力石が死んだ後の話は劇場版「あしたのジョー2」で紹介されたのだが、結果的に力石を殺してしまったジョーは試合で相手の顔面を打てなくなる。打ったとしても、吐いてしまう。そんなジョーの苦境を描いていたちば自身も、十二指腸潰瘍になり倒れたという。まさしく、作者が心血を注いでこそ傑作は生まれるのだろう。

あしたのジョー」はミュージカルだと評していたのは、岡田斗司夫だ。確かにジョーと力石、それに丹下段平それぞれにテーマ曲があって、これがまたみなカッコいい。特に、エンディングに使われた、小池朝雄が歌った段平の曲などはキャラクターにぴったりの演歌調で、しびれること請け合いだ。

ミュージカル的な感じがするのは声優が抜群だからというのもあるのだろう。ジョー役のあおい輝彦の声の素晴らしさ!「へへ、おっつあんよ、何だかやけに眩しいね」。その段平おっつあんの藤岡重慶は一度聞いたら忘れられないだみ声で「立つんだ、ジョ~!」。映画版では細川俊之がやったが、力石の仲村秀生もまた渋い。あおいの声が発する「リキイシ」という響きの霊妙さ。

いまどきの精巧なアニメを見慣れた目には、いかにも手作りの画の素朴さも新鮮だった。アニメなのにやたらと静止画が多くて、というよりも劇画調の描線をそのまま生かして動きを表現。異様な熱気に満ち、迫力も十分だった。記憶の中の「あしたのジョー」とはだいぶ違ったが、これほど独特な描き方をしていたことに驚いた。

それにしても、なぜ力石はジョーと戦うことにかくも執念を燃やしたのか。刑務所での試合に引き分けたことが、それほどこたえたのか。もともと感情をあまり表に出さない男なのだが、それにしてもあんまり悔しそうじゃなかったではないか。何しろ世界タイトルだって狙える実力者なのだ。そんな男が喧嘩の延長として行われる8回戦のために命を賭ける。

「お嬢さん、私は近代的な白木ジムの誘いを蹴り、橋の下のジムからのし上がってきた男と戦うんです。まともな食事もない、温かい布団もない、そんなところで待っていたんです、矢吹という男は」。減量をやめさせようとする白木葉子に、力石はそう言う。作り手の出崎統まで、力石は謎だと言っていた。

ちなみに、力石のボクサーとしての生涯成績は20戦20KO勝ち。少年院でのジョーとの試合のみ引き分け。ジョーは19勝6敗。

件の葬儀で、寺山修司は「力石は体制の象徴である」と言ったという。確かに力石は財閥の庇護の下にあるのだが、この言葉にはちょっと驚いた(体制はあんな減量は絶対にしない!)。寺山一流の人を食った挑発なのだろうが、しかし葬儀の7日後に起きたというよど号ハイジャック事件の犯人は「我々は明日のジョーである」と声明を出して北朝鮮に飛んでいった。団塊の世代と「あしたのジョー」の関係をテーマにした討論番組では、宮崎学猪瀬直樹が「力石の死と軌を一にして、世の中から敵がいなくなった」と言っていた。熱かった政治の季節が終わり、世の中は経済一辺倒の時代に入っていった。なるほど。敵かどうかは知らず、少なくとも僕たちは力石が体現したものが失われた世界を生きてきたのかも知れない。

では、当ブログはこう言っておこうか。

損得勘定ばかりに憂き身をやつす現代の愚か者たちよ。明日のためのその1。「あしたのジョー」を見るべし!見るべし!見るべし!

日本の次代を担う若者たちよ。明日のためのその2。ただちに刑務所に入って、君にとっての力石徹を探すべし!探すべし!探すべし! 

(注:自己責任でお願いします)

「ぶすぶすとそこいらにある、見てくれだけの不完全燃焼とは訳が違う。ほんの瞬間にせよ、まぶしい程に真っ赤に燃え上がるんだ。そして後には真っ白な灰だけが残る。燃えかすなんて残りゃしない。真っ白な灰だけだ」

番組はいちばん最後に、少年院でジョーが力石と出会う第8話を放送した。心憎い構成だ。力石が生き返った。力石はキリストだった。当分、ジョーの孤独の口笛は聞こえてこないはずだ。