なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

わが人生の栄光を語る

本番前の強化試合はことごとく無得点だった。相変わらず決定力不足が懸念された。だが、本田圭佑が決勝ゴールを決めた。ワールドカップ南アフリカ大会。岡田ジャパンカメルーンとの初戦を1対0で制した。

本田って、センターフォワードをやったことがなかったのか。4年に1度のにわかサッカーファンなので、そんなの知らない。試合後のインタビューは、どこか格闘家みたいな雰囲気だった。でも、本田に親近感を抱いた。何を隠そう、俺も元来フォワード選手ではなかったからだ。

地域の大会で好成績を上げるなど、サッカーが盛んな中学校だった。年に一度、クラス対抗サッカー大会なんかも開かれた。一年生の時、俺は代表選手に選ばれた。なぜかフォワードをやらされた。しかも、トップスリーが当り前だった当時のセンターフォワードだ。

(注:フォワードとは常に前の方に陣取って、シュートを打って得点したりしないといけない責任重大な立場です)

俺の専門は野球選手の2番セカンドだった。バント専門の地味な役回りだ。だから、スポットライトを浴びるフォワードなんて柄じゃない。そもそもフォワードに欠かせない脚力や反射神経がなかった。オフサイドとかいう基本的なルールも飲み込めていなかった。でも、サッカー部のオザキは、お前がセンターフォワードをやれと無茶を言った。当時のサッカー部は不良の巣窟だった。夜の校舎の窓ガラスを壊して回ることこそしなかったが、サッカーの他は授業をさぼってピンボールばかりやっているようなワルが集まっていた。紛れもなく、手の込んだイジメだと思った。

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運命のキックオフ。一番最初にボールを蹴るのは俺だ。でもそれ以降、全然ボールにさわれない。パスも回ってこない。激しくボールを争う場所から一人離れて、所在をなくした。心細いやら、淋しいやら。こんな心境を味わったのは後年、今日こそはフーゾク初体験をするんだと勇んで新宿・歌舞伎町に降り立ったものの、あと一歩のところで怖気づいて、店の前をウロウロしたときの他にない。

時に、もっとも恐れていたことが起きる。何の因果か、俺の足元にボールが転がってくる。何もできないのでどうぞお構いなく。こちらはそう思っているのに、相手チームのディフェンダーは血相を変えて突進してくる。泡を食った俺はあらぬ方向にボールを蹴飛ばす。「何やってんだよ!」とオザキの怒号。敵にも味方にも責められる。孤立無援。これをいじめと言わずして何と言おう。

終始、そんなお粗末なプレーしかできなかった。でも、終わってみたらびっくりだった。3試合すべて1対0で勝った。奇跡が起こった。俺たちのクラスが優勝した。そして、3試合目の虎の子の1点を決めたのは、誰あろうこの俺だった。球をしっかりと蹴れなかったそのシュートは、それこそお爺ちゃんのおしっこみたいに勢いのないものだったが、それでも確かにゴールネットを揺らした。

チームのキャプテンを務めたオザキに、先見の明があったのか。岡田ジャパンの作戦をすでに先取りしていた。サッカーのうまいやつで守備を固めて、最少得点で勝つという戦法だった。それとも、サッカー部の連中がクラス対抗戦なんかで目立つのは野暮だろう、俺たちは守るから、お前たちが前に出ろという、そんな筋だけは通っていた当時の不良のダンディズムが功を奏したのか。

古い話なのに、なぜか鮮明に覚えている。後にも先にも、これが半世紀近いわが人生における、たった一つのささやかな栄光だからだろう。その意図はどうあれ、オザキには感謝しなくちゃいけない。