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なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

俺に吸わせろ!

日記

一日一箱以上、吸う。

しかし、愛煙家は近頃まことに肩身が狭い。公共施設からはまず締め出される。煙草を吸うなんて、人間失格と言われかねない勢いだ。

路上で、赤の他人にすれ違いざまに「吸うな!」と怒鳴られたことがある。野球場の最上段、周りに誰もいない席に移って試合前に吸っていたら、案内係の小娘が脱兎のごとく駆け上がってきて、「直ちに消してください!」と怒られたこともある(注1)。あの娘っ子の鬼のような形相には、今でも時々うなされる。

だから、こちらもそれなりに気を使う。携帯電話はケータイしないが、ケータイ灰皿は携帯するし、煙草が嫌いな人と同席する場合はまず吸わない(注2)し、居酒屋のカウンターで隣に吸わないような人が座れば、俺は汽車ポッポか?と内心思いながら、そのつど首を九十度傾けて、天に向かって煙を吐く。

確かに、からだには悪いのだろう。だが、心の健康というのもある。病は気からともいう。煙草が好きな人間にとっての、ささやかなストレス解消法だと思っている。健康法なんて人それぞれだろう。

それにしても、たかが煙草ではないか。小さいことに目くじらを立てる。しかも、頭ごなしに非難する。人に対して不寛容の度が過ぎて、あまりに世知辛い世の中になってはいないか。

灰皿からゆらゆらと立ちのぼる紫煙。そんな雰囲気も安らぎをもたらす効果があるのではないか。だからといって、いちいち線香に火を点ける訳にはいかない。縁起でもない。

例えば、デートの時間に遅れた彼女を待っている間にイライラと吸う煙草。ようやく現れた彼女が、「ごめん、待たせちゃった?」。「ううん、こっちもいま来たばかりだから」と彼。ところが、足元には十本近い吸殻が・・・。このとき煙草は、彼の優しい心づかいを雄弁に物語る小道具として、恋の成就に一役買うだろう。足元にペロペロアイスの棒切れや都こんぶの空き箱がごろごろ転がっていたら、百年の恋も冷める(注3)。

要するに成熟した市民社会とは、そういう人間的な光景を、だって人間だものの精神で許容する社会を言うのではないか。健康という物差しばかりが幅を利かせれば、息苦しいだけだ。ゆとりがなく、ぎすぎすした社会の方がよほど不健康だ。

だから、俺はあえて吸う。

さてと、一服・・・・・(注4)

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注1:喫煙は指定の場所で行いましょう。
注2:エライ!
注3:吸殻はきちんと灰皿等に捨てましょう。
注4:健康のため、吸いすぎには注意しましょう。

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