なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

神宮観戦記 謎のおっさん、現る

試合前の練習を見ながら景気づけに一杯やるのが好きだからもう少し早く来たかったなと思いながら当日券売り場の列に並んでいると、隣に背の低い、人の良さそうなおっさんが現れて、「チケットを買ってくれない?」

聞くと、奥さんの都合が悪くなったとかで、一枚余っているのだと言う。しかも、バックネット裏の年間指定席「スターシート」。古田敦也の2千本安打達成という歴史的瞬間を一番いい席で見せてやろう。これは日頃の行いのいい俺に対する、神様の粋な計らいかもしれない。そのおっさんの隣に座ることにはなるが、俺は嬉々としてその申し出に応じた。もちろん、指定A席並みまで値切って。

バックネット裏でプロ野球を見るのも久しぶりだなと思って観客席に入って、また驚いた。なんとバックネット裏どころか、最前列も最前列、「0段」の席ではないか!愛しの敦ちゃんを、その大記録達成の瞬間を、汗の匂いまで漂ってきそうな至近距離で見られる!こんな幸運はざらにない。俺のために絶対に打つ!すっかり俺は2千本安打を確信して、腹ごしらえのカレーライスを急いでかっ食らった。

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ところで、そのおっさん、名前を岩村だと言った。岩村?紙袋の中には岩村「ガンちゃん」明憲のうちわも。しかも小柄。え、もしかして父君?「違いますよ。親戚の者だけどね」「えっ、ほんとっすか?」「さあ、どうかな」という何とも掴みどころのない会話を交わしながら、おっさん、こうするとメガホンを買わなくていいからねと、紙コップの底に割り箸で穴を空けて作った即席メガホンで「明憲~!」と声を張り上げる。何とも、怪しげなおっさん。

で、肝心の古田はと言うと、ヒットが出ない!一打席目はサードゴロ、二打席目はセンターフライだったかな、いずれも結構いい当たりだったけど、今日はボテボテでもポテンでもいい、ヒットが見たいのだ!おまけに古田どころか、宮本も岩村もラミレスも打てない!ヤクルトの先発・藤井に比べてそれほど球威が勝るとも思えないセドリックの前に、打線は宮出のホームランのみの沈黙状態。好投・藤井も7回、小池に二塁打を浴びて逆転を許し、おいおい俺の予定とは全然違う展開になってるじゃないか。まだこの時期のナイターは寒いだろうと厚手のジャケットを着ていったのに、かなり強い風が吹いてて体は冷えまくる。その上、試合内容もお寒いものになってきた・・・。

そして、ついに9回裏。マウンドに大魔人登場。しかし、ここからドラマが始まった。

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明らかに、往年の佐々木じゃない。球威、フォークの切れ、ともに悪い。素人目にもその前に投げたホルツのほうが上だと分かる。そして、ガツン!ラミちゃんの一発!古田は三振にうちとられたけど、続く宮出が三塁への内野安打、すかさず盗塁を決めて、ユウイチの四球のあと、佐々木のフォークを土橋がいかにも土橋らしいバッティングで左中間に渋く落として、劇的なサヨナラ勝利!!

いやはや、こんな展開になろうとは。それにしても、横浜の牛島監督も辛い。佐々木の力が落ちているのは分かってる。だから、9回の先頭打者・岩村にはそのまま左のホルツを続投させた。自身も現役時代は抑えをやってた人の、その配慮が裏目に出た。佐々木というビッグネームを切る非情な采配を、これから牛島ができるかどうか。試合後に興奮してバックネットにしがみついて叫んでいた横浜ファンの野次の口汚さも凄かった。

結局、古田の2千本は見られなかった。でも、最高の席で滅多にないいい試合が見られた。筋書きのないドラマとはよく言ったもので、野球はこれだから面白い。人生と同じで、思うに任せないものなのだ。久しぶりに生で聞いたバットにボールが当たる瞬間の硬く重い音とともに、その醍醐味を満喫した。

「みんな古田さんの2千本が見たかったと思いますが、古田さんも人間なんで、長い目で見てやってください」。土橋の人間が出たこのインタビューも良かった。そして、大魔人も人の子だった。野球はそんな人間たちのやるスポーツだから面白い。そんなことをつらつらと思いながら、家路についた。

ところで、岩村の3打席が終わると、一番いい場面を見ることなくそそくさと帰ってしまった正体不明のおっさんは、一体何者だったのか。俺にこうしたことを教えるために現れた野球の神様のたぐい?まさかね。