読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

エースは必ず復讐する

野球

札幌ドーム。エースはゆったりと、力を抜いて立ち上がった。

中4日の登板は6年振りだ。前の試合では、西武の松坂大輔と最後まで投げ合った。どちらが先に音を上げるか、ひたすら精神力の強さのみが試されるかのような投手戦。男は相手以上の好投を見せる。しかし壮絶な投げ合いの末、ただ1点に、ただ一つの失投に涙を呑んだ。

万事休すかと思われていた。だが僚友の頑張りで、再びチャンスが巡ってきたのだ。もう負ける訳にはいかない。監督は病魔に倒れた。球団は二年連続、日本シリーズ進出を逃している。絶対に負けることは許されない。

実際、こういう状況にこそ相応しい投手なのだ。今季の成績は18勝5敗、防御率1,75。パリーグでは野茂以来、投手部門4冠を独占した。そればかりではない。通算73勝20敗という勝率は、伝説の名投手・沢村栄治さえ凌ぐ。負けることとは限りなく縁の薄い投手なのだ。

さすがに前回のような、外角低目ぎりぎりに糸を引くような快速球は影を潜めた。それでも変化球を多目に散りばめた緩急自在の投球で、相手打線を翻弄する。ここぞと言うところでは自慢の直球がうなる。6回二死一塁、小笠原を空振り三振に仕留めた場面には息を呑んだ。

しかし、相手は自軍が苦手とする新人の左腕だった。シーズンの対戦成績は3勝3敗ながら、防御率は2点以内に抑えられている。延長10回まで一本の安打も打てず破れたこともある。果たせる哉、またしてもその八木が打てない。前の塁を焦った走者が牽制で刺される。審判の判定をめぐって監督が猛抗議をする。二塁へのスライディングが守備妨害を取られる。エースを何とか援護したいという味方の思いは空回りする。0対0のまま、試合は続く。

9回表、的場や大村が放ったヒット性の当たりも左翼・森本に好捕され、無得点に終わる。4万人以上の観客が埋め尽くした札幌ドームの興奮は、最高潮に達する。試合後、日ハムの新庄はビールまみれの姿で言った。「昔、パリーグの球場が満員になるなんてありえなかった」。昨年の千葉マリンスタジアムの熱狂も思い出す。例えばロッテであれば、閑古鳥が鳴いていた本拠地の東京球場時代から知っている。なるほど感慨に堪えない。プロ野球は決して衰退などしていないのではないか。今回、それを証明してくれたのが北海道日本ハムファイターズとそのファンだった。

野球は、投手が0点に抑えれば負けることはない。しかし、このプレーオフは違う。特別に定められたルールにより、0対0はソフトバンクの敗戦になる。味方が0点しか取れなければ、自分が0点に抑えても、それはそのまま敗戦を意味する。

9回裏、男は先頭の森本をストレートの四球で塁に出す。この試合初めての四球。球場の異様な雰囲気に呑まれたのか。それとも、もはや力の限界なのか。次打者にバントで送られる。小笠原を敬遠。4番セギノールは渾身のフォークで三振に仕留めた。しかし、続く稲葉にジャストミートされた、二塁の中澤は打球を止めた、一塁走者の小笠原は足が速かった、中澤からトスを受けたショートの川崎は体勢を崩していた、その間隙を縫って、二塁走者の森本は本塁を駆け抜けた・・・・・終わった。

日ハムにとっては25年振りにできた歓喜の渦の横で、男はもはや立ち上がることもできなかった。帽子のひさしで顔を隠した。泣いていたのだろう。まるでノックアウトされたボクサーのように、男は僚友二人に抱きかかえられて、ようやく孤独な、あまりに孤独なマウンドから去っていった。

f:id:ken_low:20170105155139j:plain

プロ野球で、こんな光景を見たのは恐らく初めてかもしれない。勝負の世界とは、かくも厳しいものなのか。レギュラーシーズンで負けを知らなかった男が、負けた。プレーオフ4戦4敗。

人はこんなことを言うかもしれない。この負けは勝敗を越えた価値がある、と。確かに、それほど素晴らしい試合だった。だが、男は一笑に付すはずだ。チームの敗北という結果の責めを一人で負う。それがエースのエースたる所以だからだ。稲葉に投じたあの一球の悔しさをいつまでも内に秘めて、男は再びマウンドに立つに違いない。

斉藤和巳福岡ソフトバンクホークス、背番号66。

エースは、必ず復讐する。