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なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

父のザ・エンド

冬の一日、讃岐うどんをすすりながら、老父が口を開いた。「この娘は黒木ヒロミと言ったかね?」。老母が答える。「違います。川島ミユキです」

テレビ画面には、犬と戯れる「川島なお美」の姿が映っている。ご相伴に預かっていた私は鼻からうどんを噴き出す・・・・・なんてことはない。この程度の展開で動揺をきたしていたら、とても高齢化社会の只中を生きていくことはできない。

連日、マスコミ報道を賑わせる「おふくろさん」騒動からの連想だろう。父が珍しく気の利いたことを言った。「日本レコード大賞は日本CD大賞に改称すべきである」。確かに、もうレコードなんて売っていない(ドーナツ盤、知ってる?)。もっともな意見だ。ただ、伝統というものもある。この提言の妥当性はともあれ、言葉の正しい使い方にこだわる人であることを改めて知った。

思えば、かなりの勉強家である。例えば、新聞。朝夕刊が届くや否や、新聞配達の青年からひったくるように奪取し、隅から隅までじっくり読破する。もはや新聞を読むために生きているといった風情もある。だから、読み方も並みではない。正面にはSONYの高級ラジカセ・CFM-10を置く。流れてくるのは、もちろんニュースだ。果たして、聖徳太子じゃあるまいし、目と耳から入ってくるあれやこれやの情報を同時に理解することができるのか。そう問いたいのは山々だ。しかし、本人はパソコンや携帯電話をまったく使えない。それでも、情報化社会の雰囲気を少しでも味わいたい。そのための苦肉の策なのだ。この心意気は壮とせねばなるまい。

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ソニーの高級ラジカセCFM-10

新聞を読むテーブルの上に置かれるのは、SONYの高級ラジカセ・CFM-10ばかりではない。右手には二冊の辞書が配される。金田一京助監修『現代実用辞典』(講談社)と川本茂雄監修『日本語になった外国語辞典』(集英社)。まさしく万全の備えと言っていい。特に、前者は見出し語に対応した英単語も載っているスグレモノだ。この光景を見れば、誰しも正しい言葉の使い方にこだわる人の面目が躍如としていると思うに違いない。しかし、この点については本人に疑義を呈したことがある。二冊の辞書があまりに古いからだ。片や昭和42年発行、片や昭和58年発行。言葉もめまぐるしい速度で移り変わっていく時代だ。ものの役に立つのかどうか。

「新しいの買ったら?」
「いや、あるから、いい」

確かに、厳然として、ある。しかし、「ミレニアム」も「インターネット」も「ブログ」も載っていない辞書でもって、時代を乗り切ろうとする精神もまた壮とすべきなのか。そのくせ、昔からやたらとカタカナ語を使いたがった。「鯖という字は魚へんにブルーと書くんですね~」と言ったという長島茂雄氏の超俗の境地には遠く及ばないが、食卓に汁物が出ていないと決まって言うのが「スープはないのか?」である。たいてい味噌汁なのだから「味噌汁」、もしくは「おみおつけ」でいいではないか。「ライス」に納豆をかけられては、せっかくの納豆もいい迷惑なのではないか。

そんな父のお気に入りの言葉が「ザ・エンド」だ。テレビ観戦しながら、ひいきの中日ドラゴンズの敗色が濃くなると「もう駄目だ、ザ・エンド」。こんな具合に連発する。先日、弟を交えて三人で久しぶりに外で飲んだときのお開きの際も、「そろそろザ・エンドにしよう」だった。

父とはそりが合わなかったせいもある。学歴のない劣等感の裏返しだとも分かる。だが、誰もが知っているカタカナ語でもって自分も少しは英語ができると自慢しているかのような、そんなさもしい態度がいちいち気に障った。だから、若い頃は悪魔的な計画をひそかに温めもした。親父が死の床についたら、こう言ってやろう。

「父さんもいよいよザ・エンドだね・・・・・あっ、間違えた。ジ・エンドだ。ザはその次に来る言葉が母音で始まる場合は、ジって発音するんだよね」

しかし、私も今ではすっかり人間ができあがった。両親を早くに亡くし、貧しくて小学校しか行けなかった父が味わってきただろう一方ならぬ苦労や悲しみも、十分に理解しているつもりだ。父の自尊心を傷つけるようなひどい仕打ちは、もはやできない。そもそも、所詮は日本人なのだから「ザ・エンド」でいいではないか。英語の「ジ・エンド」にしたって、その方が言いやすいからなのだろう。口先の都合だ。たいした問題ではない。それに、「ザ・エンド」でググっても868件もヒットする(ていうか、意外と少ないような・・・)。良かったね、父さん、同士はこんなにたくさんいるんだよ。

何さ、「ジ・アルフィー」って。英米のロックの伝統に連なるという高邁な理想でもあるのか、コミック・バンドみたいなくせして。という訳で、私は断然「ザ・エンド」を擁護する。

(ザ・エンド)

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