なべて余はこともなし

昨夜、私は4キロ半のマシュマロを食べる夢を見たのだが、目を覚ましたら、枕がなかった。(トミー・クーパー)

山井に代えて、ピッチャー岩瀬

8回裏の攻撃が終わった。1対0で中日のリード。球場は割れんばかりの山井コールに包まれる。完全試合まで、あとアウト3つ。達成すればシリーズ初の快挙だ。しかし、監督は腰を上げた。どれほど好投していても、たった一球で試合の流れは大きく変わる。現役時代、ノーヒットノーラン寸前まで行った巨人の斎藤雅樹から逆転サヨナラ弾を打ったのが落合監督だった。

テレビ中継の解説をしていた阿波野秀幸は「ヒーローが大好きなメジャーリーグなら、まずありえない」と言った。だが、「日本シリーズだろうと、いつも通りの野球をするだけだ」。三冠王を取ると宣言して必ず取った有言実行の人は、主審に告げた。

「山井に代えて、ピッチャー岩瀬」

中日の3勝1敗で迎えた第5戦。日本ハムのマウンドには最後の砦、ダルビッシュが上がる。相手は3年前の日本シリーズで好投したことがあるとはいえ、チームで5番手の先発投手。味方の援護はあまり期待できないにせよ、自分が点を与えなければ必ず勝機は訪れよう。熱狂的なファンが待つ札幌に帰ることができれば、シリーズの行方だってまだ分からない。ダルビッシュはそう考えていたに違いない。

2回に球が浮いた。明らかに長打狙いを封印したウッズに三遊間を破られると、続く中村紀にも右中間に弾き返された。捕手の鶴岡がマウンドに行く。バッテリーは迷ったのか。

ダルビッシュはそれほどでもないと思うが、立ち上がりに難のある先発投手は多い。慎重を期して初回を無事に切り抜けながら、気の緩みから2回につかまる光景もよく目にする。本人も当然分かっていただろう。それでも、カウント2-1からの4球目、まだ変化球を苦手にしている高卒2年目の7番打者に投じたストレートは、中途半端なコースに入った。あっさりと犠飛を許してしまう。それは一瞬の魔なのか、勝負の綾なのか。

あとは申し分のない投球だった。中4日の疲れからか、初戦のような凄味はなかったし、150キロも出なかった。それでも7回で11三振を奪った。第1戦の13個を加えた奪三振24は「神様・仏様・稲尾様」の西鉄稲尾和久に次ぐ数字だという。自軍の攻撃のふがいなさに心を乱すことなく、淡々と投げ抜いた破格のエースの佇まいは美しかった。

ただ、中日の山井がそれ以上に凄かった。切れ味の鋭いスライダーとカーブ、そして抜群の制球力。不振を極める日ハム打線にはなす術もなかった。打てそうな気配はまったくなかった。そのせいか、緊迫した投手戦のようには見えなかった。日ハムにとっては、1対0という僅少差の大敗だったろう。

両軍ともに投手を中心にした守りのチーム。戦前は1点を争う熾烈な攻防が予想された。第7戦までもつれるのではないか。だが案に相違して、日ハムの完敗。昨年の借りをしっかりと返された。ダルビッシュを除いて、自慢の投手陣が四死球から自滅した。打てなくても勝てた不思議な攻撃陣は、ただ打てなかった。3番・稲葉の不調が取り沙汰されたが、森本・田中の1、2番コンビを完全に抑えられたのが致命的だった。中日・谷繁捕手の内角攻めに、森本はひたすら凡ゴロの山を築く。短期決戦とは、かくも軌道修正がきかないものなのか。怖いもの知らずだった日ハムの若さと勢いは、3度目の正直に挑んだ、怖さを知る中日の円熟に敗れた。

MVPは打率4割4分、4打点を記録した中村紀。背番号205の育成選手の立場から這い上がった男が、最後の最後に感涙にむせぶ。こんな光景も滅多に見られるものではない。落合監督によると、当初は獲得するつもりはなかった。だが、興味を示していたヤクルト、ロッテ、日ハムが見送ったために救いの手を差し伸べた。歯に衣着せぬ言動ゆえに嫌われた面もあったのだろう元本塁打王を、現役時代はオレ流と称して孤高を貫いた監督が拾い上げた。

9回、山井の後を継いだ不動の守護神は「かつて経験したことのない重圧」を背負いながら、打者3人を抑え、シリーズ史上初の継投による完全試合を達成した。試合後の記者会見によると、監督は山井の手のまめが潰れたので、森繁和コーチの進言を受け入れて交代を決断したという。

この勝負に徹した非情な采配が、物議を醸しているようだ。確かに、100年に一度あるかないかの大偉業(への挑戦)を見たかった気もする。だが、中日は3年前の西武とのシリーズでは先に王手をかけながら敗れている。球団自体、半世紀以上も日本一から遠ざかっている。監督が、投手のことはローテーションを含めて、すべて森に任せていると言ったことも思い出す。

優勝インタビューのお立ち台で、「山井投手にどんな言葉をかけられますか」と聞かれた監督は答えた。「山井に限らず、選手全員に同じ言葉をかけたいと思います」

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苦境に立っても悠揚として迫らぬ態度ゆえに、時に憎たらしくもある。でも、認めないわけにはいかない。4年間でリーグ優勝2回。今年は悲願の日本一。情理を尽くした落合采配に帽を脱ぐ。